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平凡な理学療法士が副業(複業)で年収を倍にした方法

理学療法士が副業で年収を2倍

ここに書くのは、落ちこぼれの理学療法士だった私が、年収をどのようにして倍まで上げたのかについての具体的な方法です。

お金の話なので生々しい金額についても載せていますが、それはこの記事を読んだセラピストである皆様方の参考に少しでもなったらと思ったからです。

アップル創業者のスティーブ・ジョブズは、すべての点と点が繋がって「今」を形成していると言いました。

どのようにして年収を上げたのかを端的に書くことは簡単ですが、それだけではきっと何の参考にもなりません。

私が皆様方に知ってもらいたいことは、私が経験してきたどの点と点が繋がって稼げるようになったかという流れです。

そのためには、私がどうして理学療法士を目指すことになったのか、どうして理学療法士を辞めたのか、そして、どうして理学療法士にまた戻ったのかについて知ってもらう必要があります。

結構なボリュームになっていますので、ここからは本気で収入を増やしたいと考えている人だけが読み進めていってください。

理学療法士になる気がなかった学生時代

私は専門学校時代に「学校を辞める」と母に言って、2時間ほど号泣しながら説得された過去があります。

私の家庭はあまり裕福ではありませんでしたが、まだ働きたくないからという理由だけで専門学校に行くと言ったとき、母は「あなたがそうしたいなら」と言って、なんとかお金をかき集めてくれてました。

電車とバスを乗り継ぎしながら学校まで通っていたので、すべてを含めると卒業までの3年間に500万円ちかくはかかったと思います。

それだけの大金を払ってくれたにも関わらず、私は2年生のときに「県外に行って友達とバンドをしたい」という理由で学校を辞めると軽く言ってしまいました。

そこから母は号泣し、とりあえず学校を卒業して資格だけは取ってほしいと泣きながらに訴えてきました。

当時の私には涙の意味が理解できませんでしたが、さすがに可哀想な気持ちになってきて、「なら資格はとるけど理学療法士にはならない」と言って学校を続けました。

そして3年間の学校生活を終え、無事に資格も取得した私は晴れて自由の身になったわけですが、そこでまた母を号泣させることになりました。

その理由は、以前に約束したように「理学療法士として働く気はない」と言ってしまったことにあります。

卒業する頃には息子の考え方も変わると期待していたんでしょうが、私は逆に言ったからにはやらないという意識が強まっていました。

ただ、ここでも2時間ほど号泣説得が続いてしまい、結局はとりあえず最初の職場だけは理学療法士として働くという話で決着しました。

理学療法士が心から嫌いになった新人時代

私が最初に勤めることになった就職先は同期が30人以上もいる大病院で、ここがとにかくきつい職場でした。

なにが嫌だったかというと、まずはとにかく残業が多かったことです。夜の10時を過ぎても平気で半数ぐらいは残っていました。

同期の中には、先輩が帰るまでは先に帰れないといって、毎日11時ぐらいまで残っている人もいたほどです。

さらにこれが学会や院内発表の時期になるとすごくて、連日0時を過ぎるまで準備作業をすることなんてざらでした。

帰る時間がもったいないという理由で、発表者の中には学会前の一週間ぐらいはリハ室で寝泊まりをするような強者もいました。

さすがにそんな環境下でずっと働いていくことは難しく、ほとんどの職員は5年以内に辞め、現在でも残っている同期は1人だけです。

その中で生き残れるのは精鋭中の精鋭たちなので、上司は仕事がおそろしくできますが、それ以上にタフネスさが尋常ではありませんでした。

タフネスさを強要されるようなことはありませんでしたが、やはりこちらも先輩がやってるのにという気持ちは当然ながらにありました。

私はその環境が入職したときから辛くてたまらなく、何度もやめようと考えましたが、上司が私の配属を通所リハビリに移してくれるという理由で1年目のときは残ることにしました。

通所リハビリになったことで業務量がいくらかは楽になりましたが、それでも残業地獄から抜け出すことはできませんでした。

そして、働きだしてから二年が経った頃には、いつの間にか「職場が嫌」ではなく「理学療法士が嫌」というように論点のすり替えが起こっていました。

学生時代から理学療法士という仕事に興味を持っていたわけでもない私は、ここでついに業界からフェードアウトすることを決意します。

辞めるときはリハビリ関連の書籍はすべて捨てましたし、ゴニオメーターも打腱器も処分しました。

理学療法士を辞めた私のリアル

理学療法士を辞める頃には、「この業界は将来性がない」「薄給で昇給も少ない」という考え方に至っていたので、次は誰もが名前を知ってるような大企業に就職して安定しようと考えました。

とくにコネもなかった私は、リクナビなどの転職サイトに登録し、とりあえず興味のある企業に説明会から参加しました。

そこから面接を5〜6社ほど受けてみてわかったのですが、理学療法士という仕事は専門職なので汎用性に乏しく、転職時になんの強みもないという現実でした。

もちろん全ての会社が不採用であり、そこからは心が折れてニート生活に落ちていき、毎日ゲームして寝るだけの繰り返しになってしまいました。

そんな時に出会ったのがナポレオン・ヒルの成功哲学であり、いわゆる成功した人たちの特徴が書かれているビジネス書でした。

こういう本を読んだことがない人には「怪しい本」でしかないでしょうが、これが実はかなり的を射ている内容でした。

本書の中で、他者からの評価が上がるというのは、相手の想像を越えた仕事をしたときに起こる現象であることが述べられています。

例えば、この人は70点の仕事をするだろうと考えて頼んだときに60点のデキだったら評価が下がり、この人は50点の仕事をするだろうと考えて頼んだときに60点だったら評価が上がるわけです。

成功するためには常に相手の期待を超えていく必要があり、それを意識しながら仕事をしていくことが出世の最短ルートになります。

このようなビジネス書ばかりを読んでいたら、そのうちにこの理論を実践で試してみたいという衝動にかられるようになりました。

そこで従来の大企業狙いはやめることにし、比較的に若い企業で、総合的に事業に関われる職場を探し始めました。

そのようにして見つけたのが貴金属やブランド品の買取業者で、総合職として店舗経営にたずさわれるということで面接を受けました。

その面接で社長から、「理学療法士の資格を持ってるんだよね。今うちの会社で職業訓練校のヘルパー講座を開設したから、そちらの運営業務をやってくれないか」という提案がありました。

私の目的は総合職に就くことだったので、いろいろと運営に関わっていけるならどこでも構わないと考え、これを了承して働き始めました。

このときの月収は16万円であり、年収だと230万円ほどでした。

以前の病院時代は年収が350万円以上はあったので、その三分の二にも満たない額であり、1人だからどうにか生活できるレベルでした。

それでも私の目的はあくまで成功法則が役立つものかを検証する目的だったので、年収が下がることへの抵抗は全くなかったです。

そこから職業訓練校(ヘルパー2級講座と介護職員基礎研修講座)の総合職として働き出すのですが、運営業務全般をしていたので、その業務量は理学療法士時代とは比べ物になりませんでした。

具体的に書くと、監査に関する書類はすべて1人で作成していましたし、ほとんどが外部講師だったので授業のタイムスケジュール作成や電話での日程調整などもやっていました。

他にも、実習先の開拓や生徒の募集、授業の一部も担当していましたし、とにかくやることは毎日山積みでした。

職業訓練校は私とパートさんの二人で運営していたので、今考えるとあれだけの業務をよくやれたなと思います。

しかしながら、その功績が社長にも認められて、入社からたったの半年間で役職が付き、社内で階級が三番目になりました。

これでようやく成功法則は真実だということを身を持って実感しましたが、ここからサクセスストーリーが進んでいくわけではありませんでした。

これからという矢先に、政府から職業訓練校の急激な締め付けが起こり、あっけなく事業は傾いて閉校となりました。

ここで普通なら落ち込むところですが、私ならどこに行ってもやっていけるという変な自信がつき、次はどうしようかとワクワクしていました。

理学療法士に返り咲いた理由

そこから地元に帰り、就職先を探していくことになったのですが、どの求人を見ても給料が安すぎることに私は絶望していました。

理学療法士は給料が安いとよく言われますが、田舎なら平均よりも間違いなくもらっている職業だと思います。

理学療法士を辞めてから2年以上のブランクが空いていましたが、まあ大丈夫だろうという軽い気持ちで近くの整形外科に応募し、そこに採用していただいたことでまたこの業界に戻ってくることができました。

そしてこのときに、母親が「とりあえず資格だけでも取りなさい」と言ってくれた本当の意味を理解しました。

思い返してみると、職業訓練校に採用していただいたのも理学療法士だったからですし、これまでも資格に何度も助けられていました。

また、このときの整形外科では外来リハビリの延長として通所リハビリを開設したいという構想があったため、私の通所リハビリでの経験を買ってくれての採用となりました。

これらは最初に記述した「点と点が繋がった状態」であり、今ではどのようにして過去の点と今の点を繋げるかが大事ではないかと痛感しています。

経験といっても通所リハビリで働いていた期間は1年ほどですし、リハビリ業務しかしてこなかったので開設の方法なんてもちろん知りません。

それでも、努力さえしたらどうにかなるということを以前の職場での経験から知っており、院長には「私に任せてください!」と胸を張って言いました。

そこからは入院と外来リハビリをこなしながら、家では通所リハビリ開設のために必要な書類や法律のことを勉強し、入職してから3ヶ月ほどで無事に起ち上げが完了しました。

また、この職場で働いてみての収穫はもうひとつあって、それが理学療法士としての楽しみを実感できるようになったことです。

そこでようやくわかったのですが、私が嫌いになったのは理学療法士という仕事ではなく、ただ前の職場の環境が合わなかったということでした。

新しい職場は私にとても合っており、理学療法士という仕事がこれだけやりがいがあり、楽しいものかと思えるまでに回復することができました。

それに加えて、これまでの職場でかなりタフネスに鍛えられていたので、こんな楽勝な仕事でこんなにお金をもらっていいものかと思えたほどです。

他の職員が一時間ぐらいの残業で文句を言っているのを傍目に、私は涼しい顔をしながら何でもこなすことができました。

なので、今では最初の職場があったからこそ今の自分があると思っており、とても感謝しているほどです。

新社会人が鍛えるべきは技術ではなく、まずはタフネスです!

とまでは言いませんが、もしもあなたが理学療法士を嫌で辞めたいと考えているなら、とりあえず別の職場を経験してみることをお勧めします。

それでもやっぱり嫌だというならしょうがないですが、環境を変えたら楽になる場合も多いと私自身はこれまでの経験から実感しています。

でたらめな老人保健施設で疲弊する

先ほど紹介した職場は環境的にとてもいい場所だったのですが、院長がやや高齢で跡継ぎがいないこともあり、将来に不安を覚えるようになりました。

実際に近くの内科クリニックは院長が亡くなるのと同時に閉院となったりしていたので、明日は我が身ではないかと考え始めました。

そこで次が最後の転職だと心に決めて、条件として、①給料が高いこと、②潰れないことを条件に探してみることにしました。

そこで始めて理学療法士向けの転職サイトがあることを知り、その中のいくつかに登録してから条件に見合う場所がないかをキャリアコンサルタントに相談してみました。

非常に丁寧に対応してくれるところがある一方で、とても苛立たしいことを言われたのもよく覚えてます。

私はここまでに3つの職場を辞めていましたが、その経歴を見たキャリアコンサルタントのひとりが次のように言いました。

これ以上経歴を汚すと転職が難しくなるので、次は最後の就職だと思って条件に合ういい職場を見つけましょうね。

おそらくこれが一般的な世間の評価なのでしょうが、それでも私にはやはり納得がいかない部分もありました。

これまで、点と点を繋げながら最善を尽くして仕事をしてきましたし、職場ではそれなりの評価をいただいてきました。

それをただの「汚れ」と表現されたのは、自分のこれまでを全否定されたような気分になりました。

そのため、その転職サイトは使用せずに他を活用しながら、なるべく条件のいい職場を吟味しながら探しました。

そのようにしてようやく見つけたのが介護老人保健施設であり、前回の職場よりも年収で100万ほど高くなりました。

理学療法士が同じ職場でそれだけアップしようと考えたら、最低でも20年は勤めないと無理ではないでしょうか。

おそらく、誰にでも再現性があって短期的に給料を高められるのは転職しかないのが現状です。それ以外にありません。

ただ、これですべてが万々歳とはならず、その老人保健施設はとんでもないところだったというオチがあります。

その職場には私以外にベテランの理学療法士と作業療法士の二人がいましたが、まったく仕事へのモチベーションがない人たちでした。

すべての利用者が基本的に同じメニューで、プーリーとニューステップという機械をするだけで、個別になにかをすることはありません。

集団リハビリでは机に認知症の方々を並べて音楽を流すだけ。その隣でセラピストとリハビリ助手が座って40分間喋ってるだけでした。

私がベッド上でリハビリをしていたら、依存性を生むからなるべく触らないようにと怒られることもありました。

一週間でもう辞めたいという衝動にかられましたが、引っ越しまでして就職したので、ここですぐに辞めるわけにはいきませんでした。

ひとつだけ幸いだったことは、昼休み以外にも書類業務という名ばかりの時間が90分ほど確保されており、この時間を有意義に使うことができました。

セラピストの二人は寝てるか雑誌を読んでるかだけの時間でしたが、私はこの時間を使って勉強するようにしました。

以前からネットにはリハビリ系の記事が少ないと思っていたので、新人向けにわかりやすく治療法を書いたら需要があるのではないかと考えました。

そこで勉強したことは自宅に帰ってからブログにアップし、その作業を1年半ほど淡々と続けていった結果、今のリハトラネットが完成しました。

当時は本業と副業のおかげで、職業訓練校で働いていたときと比べたら軽く倍以上の年収になっていたと思います。

ブログ収入自体はあまり多くありませんでしたが、私のメンタルはすでに限界に来ていたので、ここで退職を決意することになります。

フリーランスで生きていけるか挑戦

仕事をやめた時点では副業が月に10万円ほどだったので、そこからしばらくは貯金を切り崩しながらの生活となりました。

フリーランスと書いたら聞こえはいいですが、かなり生活も厳しかったので、完全に未来への投資をしている状態でした。

それでも、はじめて紙の本を出版することができましたし、徐々にアクセスも増えていきました。

ちなみに本は2500部の印税保証部数があったので、最初の印税で30万弱ほど振り込まれました。

そんな感じで、まあどうにかなるかなと考えていた矢先に、とんでもない大事件を起こすことになります。

それがサイトぶっ飛ばし事件なのですが、私が間違って設定を変えてしまったことにより、全ての記事のURLが変わって検索結果から消えたのです。

リハトラネットの閲覧者はほとんどが検索流入でしたので、収入はほぼ無くなってしまい、本気でオワッタという感じでした。

とりあえず明日も見えない状況に陥ったので、ここからまた就職先を探すことになったわけです。

整形外科に戻ってきた話

そして現在の就職先に落ち着いているわけですが、正直なところ、ここは以前の老健よりも年収はかなり落ちました。

しかしながら、順調にリハトラネットのアクセスも回復していき、副収入もあるので給料の高い低いで選ぶ必要がなくなったのです。

そのため、私が理学療法士として最も活躍できると考えている整形外科の外来リハビリに勤めることにしました。

仕事は楽しいですし、これまで勉強してきたことが治療効果として現れると、なんとも言えない嬉しさがあります。

そして、そのようにして結果が出たことをブログの記事に上げることで、理学療法士のレベルアップにも貢献できると考えています。

給料を上げるための方法

これまでの私の経験から言える給料を上げるための方法は、①転職する、②サイト運営をする、のふたつです。

実際にこれらの方法を活用して年収1000万を越えた知り合いの理学療法士もいますので、再現性はかなり高いと思います。

転職サイトに関しては、私は以下を主に活用しました。

  1. マイナビ医療介護のお仕事
  2. メドフィット リハ求人.com

 

他にも登録していたのですが、この2つが特におすすめです。

サイト運営に関してはリハビリの勉強にもなりますし、セミナーの開催や書籍販売といったところにも結びつけていくことができます。

以前は休みの日に別の施設でアルバイトをするセラピストも多かったですが、最近は理学療法士も飽和しているので、休日にアルバイトという話はほとんど聞かなくなりました。

また、アルバイトをさせてもらうにはコネが必要ですし、これから始めるには少々難しいかもしれません。

週末開業をうたって無保険の施術をしている場合もありますが、こちらはグレーな部分もありますので注意が必要です。

複業で稼ぐには技術をもう1つ持っておく

前述のセミナー開催もそうですが、他人になにかを教えられる知識や技術が一つでもあったら副業は可能です。

これはパソコンの技術であったり、投資の知識でもなんでもいいです。

私もこのサイトを副業の軸としており、ここに至るまでに相当の時間を費やしてきました。

そして今では、理学療法の知識に加えて、文章を書く技術(ライティング・スキル)を身につけています。

紙の本も1冊出版していますが、今では個人で電子書籍を簡単にアマゾンから販売できますので、このあたりもやり方次第で副業にできます。

ネットを使用した副業でもうひとつ頑張っているのがFX(外国為替証拠金取引)で、副業を考えている人なら一度は聞いたことがあるはずです。

FXは聞いたことがあるけどよくわからない、なんとなく危ないものと考えている人に向けてわかりやすく解説している記事も書いています。

 

私の考えとしては、何事もとにかくやってみることが大切だと思っています。

興味がないことなら続きませんが、それはそれで構いません。興味がないとわかっただけでもいいわけです。

お金を稼ぐためには才能があるところにすべての力を注ぎ込むことが重要です。

ここでいう才能とは、「好きで続けられること」を指しています。どんなに運動神経抜群でも、サッカーが嫌いなら上手くなりませんよね。

大切なことは自分の才能に気付くことであり、そのためには何事にも挑戦してみることが必要です。

そしてそこから、続けられそうなことを取捨選択していくことで、自分だけにしかできないことが見つかります。

ゲーム好きならパズドラで稼げた

何事にも挑戦しておくことの大切さに気付いたのは、スマホゲームのパズドラが爆発的にヒットしたことがきっかけでした。

私の趣味は今も昔もゲームなのですが、パズドラも流行る前からやっており、その面白さにはいち早く気付いていました。

実際にそこから大ヒットとなり、運営会社の(株)ガンホーの株価は、販売からたったの1年で100倍以上に跳ね上がりました。

もしもゲームを開始した時点で、私に株取引の知識や経験があったら、すぐにガンホーの株を購入して億万長者になれていた可能性もあったわけです。

ただのゲーム好きなら稼ぐことはできません。ただの投資スキルだけでも稼げません。

ゲーム好きの点と投資スキルの点をつなぎ合わせることができて、そこではじめて大きく稼ぐことができるわけです。

あなたの強みを生かすためには、他になにを組み合わせる必要があるかを考えてみることが大切です。

成功の種はいつも近くに転がっている

私が実践している副業や考え方を中心に書いてきましたが、やはり簡単に稼げるようになる副業はないというのが本音です。

もしも自分には難しそうだと感じたなら、転職をするというのもひとつの有効な手段になります。

私はこれまでに5度の転職を経験していますが、そこで得られた知識や経験が今の私を形成しています。

人生は出会いとはよく言ったもので、どこから稼ぐためのアイデアを得られるかはわかりません。

私がサイト運営の知識を身につけられたのも、医療職から離れた仕事をしていたことが大きいです。

どこに成功の種が転がっているかは誰にもわかりません。自分に合った方法を見つけて、あなたも楽しい未来を描いてみてください。


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The Author

中尾 浩之

中尾 浩之

1986年生まれの長崎県出身及び在住。理学療法士でブロガー。現在はフリーランスとして活動しています。詳細はコチラ
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