vc

理学療法士が副業と転職で収入をアップさせる3つの方法

最近はもう理学療法士とお金の不安はセットにして考えてもいいぐらいで、みんな誰しもが持っている共通認識だと思います。

月給が25万円だったら、手取りは20万円ほどであり、そこから生活費を引いて研修などに参加していたら貯金もできませんよね。

どれだけ技術を磨いても収入がアップするわけでもなく、昇給も年に3000円あったらいいほうで、若い上司も多いので役職手当も付かない。

結婚したい恋人がいても、貯金がないためにプロポーズもできず、結婚しても子供を作るのをためらうほどです。

このように理学療法士の悩みの大半は収入の面であり、そこを解決しないことには生きているのもつらくなります。

そんな共通の悩みを私も抱えていたわけですが、収入をアップさせる方法を知ってからは生活がかなり楽になりました。

想像してみてください。あなたの月収に加えて、あとプラス5万円あったとして、それを自由に使うことができたとしたら。

今まであらゆるものから我慢を強いられてきたことが、たったそれだけで一気に解放されるはずです。

ここに書くのは、同じように悩みを抱えていた理学療法士の私が、年収をどのようにしてアップしたかの具体的な方法です。

お金の話なので生々しい金額についても載せていますが、それはこの記事を読んだセラピストである皆様方の参考に少しでもなったらと思ったからです。

アップル創業者のスティーブ・ジョブズは、すべての点と点が繋がって「今」を形成していると言いました。

どのようにして年収を上げたのかを端的に書くことは簡単ですが、それだけではきっと何の参考にもなりません。

私が皆様方に知ってもらいたいことは、私が経験してきたどの点と点が繋がって稼げるようになったかという流れです。

そのためには、私がどうして理学療法士を目指すことになったのか、どうして理学療法士を辞めたのか、そして、どうして理学療法士にまた戻ったのかについて知ってもらう必要があります。

結構なボリュームではありますが、読んだあとに必ず今後の役に立つ内容になっていますので、是非とも最後まで読んでみてください。

理学療法士になる気がなかった学生時代

私は専門学校時代に「学校を辞める」と母に言って、2時間ほど号泣しながら説得された過去があります。

私の家庭はあまり裕福ではありませんでしたが、まだ働きたくないからという理由だけで専門学校に行くと言ったとき、母は「あなたがそうしたいなら」と言って、なんとかお金をかき集めてくれてました。

電車とバスを乗り継ぎしながら学校まで通っていたので、すべてを含めると卒業までの3年間に500万円ちかくはかかったと思います。

それだけの大金を払ってくれたにも関わらず、私は2年生のときに「県外に行って友達とバンドをしたい」という理由で学校を辞めると軽く言ってしまいました。

そこから母は号泣し、とりあえず学校を卒業して資格だけは取ってほしいと泣きながらに訴えてきました。

当時の私には涙の意味が理解できませんでしたが、さすがに可哀想な気持ちになってきて、「なら資格はとるけど理学療法士にはならない」と言って学校を続けました。

そして3年間の学校生活を終え、無事に資格も取得した私は晴れて自由の身になったわけですが、そこでまた母を号泣させることになりました。

その理由は、以前に約束したように「理学療法士として働く気はない」と言ってしまったことにあります。

卒業する頃には息子の考え方も変わると期待していたんでしょうが、私は逆に言ったからにはやらないという意識が強まっていました。

ただ、ここでも2時間ほど号泣説得が続いてしまい、結局はとりあえず最初の職場だけは理学療法士として働くという話で決着しました。

理学療法士が心から嫌いになった新人時代

私が最初に勤めることになった就職先は同期が30人以上もいる大病院で、ここがとにかくきつい職場でした。

なにが嫌だったかというと、まずはとにかく残業が多かったことです。夜の10時を過ぎても平気で半数ぐらいは残っていました。

同期の中には、先輩が帰るまでは先に帰れないといって、毎日11時ぐらいまで残っている人もいたほどです。

さらにこれが学会や院内発表の時期になるとすごくて、連日0時を過ぎるまで準備作業をすることなんてざらでした。

帰る時間がもったいないという理由で、発表者の中には学会前の一週間ぐらいはリハ室で寝泊まりをするような強者もいました。

さすがにそんな環境下でずっと働いていくことは難しく、ほとんどの職員は5年以内に辞め、現在でも残っている同期は1人だけです。

その中で生き残れるのは精鋭中の精鋭たちなので、上司は仕事がおそろしくできますが、それ以上にタフネスさが尋常ではありませんでした。

タフネスさを強要されるようなことはありませんでしたが、やはりこちらも先輩がやってるのにという気持ちは当然ながらにありました。

私はその環境が入職したときから辛くてたまらなく、何度もやめようと考えましたが、上司が私の配属を通所リハビリに移してくれるという理由で1年目のときは残ることにしました。

通所リハビリになったことで業務量がいくらかは楽になりましたが、それでも残業地獄から抜け出すことはできませんでした。

そして、働きだしてから二年が経った頃には、いつの間にか「職場が嫌」ではなく「理学療法士が嫌」というように論点のすり替えが起こっていました。

学生時代から理学療法士という仕事に興味を持っていたわけでもない私は、ここでついに業界からフェードアウトすることを決意します。

辞めるときはリハビリ関連の書籍はすべて捨てましたし、ゴニオメーターも打腱器も処分しました。

理学療法士を辞めた私のリアル

理学療法士を辞める頃には、「この業界は将来性がない」「薄給で昇給も少ない」という考え方に至っていたので、次は誰もが名前を知ってるような大企業に就職して安定しようと考えました。

とくにコネもなかった私は、リクナビなどの転職サイトに登録し、とりあえず興味のある企業に説明会から参加しました。

そこから面接を5〜6社ほど受けてみてわかったのですが、理学療法士という仕事は専門職なので汎用性に乏しく、転職時になんの強みもないという現実でした。

もちろん全ての会社が不採用であり、そこからは心が折れてニート生活に落ちていき、毎日ゲームして寝るだけの繰り返しになってしまいました。

そんな時に出会ったのがナポレオン・ヒルの成功哲学であり、いわゆる成功した人たちの特徴が書かれているビジネス書でした。

こういう本を読んだことがない人には「怪しい本」でしかないでしょうが、これが実はかなり的を射ている内容でした。

本書の中で、他者からの評価が上がるというのは、相手の想像を越えた仕事をしたときに起こる現象であることが述べられています。

例えば、この人は70点の仕事をするだろうと考えて頼んだときに60点のデキだったら評価が下がり、この人は50点の仕事をするだろうと考えて頼んだときに60点だったら評価が上がるわけです。

成功するためには常に相手の期待を超えていく必要があり、それを意識しながら仕事をしていくことが出世の最短ルートになります。

このようなビジネス書ばかりを読んでいたら、そのうちにこの理論を実践で試してみたいという衝動にかられるようになりました。

そこで従来の大企業狙いはやめることにし、比較的に若い企業で、総合的に事業に関われる職場を探し始めました。

そのようにして見つけたのが貴金属やブランド品の買取業者で、総合職として店舗経営にたずさわれるということで面接を受けました。

その面接で社長から、「理学療法士の資格を持ってるんだよね。今うちの会社で職業訓練校のヘルパー講座を開設したから、そちらの運営業務をやってくれないか」という提案がありました。

私の目的は総合職に就くことだったので、いろいろと運営に関わっていけるならどこでも構わないと考え、これを了承して働き始めました。

このときの月収は16万円であり、年収だと230万円ほどでした。

以前の病院時代は年収が350万円以上はあったので、その三分の二にも満たない額であり、1人だからどうにか生活できるレベルでした。

それでも私の目的はあくまで成功法則が役立つものかを検証する目的だったので、年収が下がることへの抵抗は全くなかったです。

そこから職業訓練校(ヘルパー2級講座と介護職員基礎研修講座)の総合職として働き出すのですが、運営業務全般をしていたので、その業務量は理学療法士時代とは比べ物になりませんでした。

具体的に書くと、監査に関する書類はすべて1人で作成していましたし、ほとんどが外部講師だったので授業のタイムスケジュール作成や電話での日程調整などもやっていました。

他にも、実習先の開拓や生徒の募集、授業の一部も担当していましたし、とにかくやることは毎日山積みでした。

職業訓練校は私とパートさんの二人で運営していたので、今考えるとあれだけの業務をよくやれたなと思います。

しかしながら、その功績が社長にも認められて、入社からたったの半年間で役職が付き、社内で階級が三番目になりました。

これでようやく成功法則は真実だということを身を持って実感しましたが、ここからサクセスストーリーが進んでいくわけではありませんでした。

これからという矢先に、政府から職業訓練校の急激な締め付けが起こり、あっけなく事業は傾いて閉校となりました。

ここで普通なら落ち込むところですが、私ならどこに行ってもやっていけるという変な自信がつき、次はどうしようかとワクワクしていました。

理学療法士に返り咲いた理由

そこから地元に帰り、就職先を探していくことになったのですが、どの求人を見ても給料が安すぎることに私は絶望していました。

理学療法士は給料が安いとよく言われますが、田舎なら平均よりも間違いなくもらっている職業だと思います。

理学療法士を辞めてから2年以上のブランクが空いていましたが、まあ大丈夫だろうという軽い気持ちで近くの整形外科に応募し、そこに採用していただいたことでまたこの業界に戻ってくることができました。

そしてこのときに、母親が「とりあえず資格だけでも取りなさい」と言ってくれた本当の意味を理解しました。

思い返してみると、職業訓練校に採用していただいたのも理学療法士だったからですし、これまでも資格に何度も助けられていました。

また、このときの整形外科では外来リハビリの延長として通所リハビリを開設したいという構想があったため、私の通所リハビリでの経験を買ってくれての採用となりました。

これらは最初に記述した「点と点が繋がった状態」であり、今ではどのようにして過去の点と今の点を繋げるかが大事ではないかと痛感しています。

経験といっても通所リハビリで働いていた期間は1年ほどですし、リハビリ業務しかしてこなかったので開設の方法なんてもちろん知りません。

それでも、努力さえしたらどうにかなるということを以前の職場での経験から知っており、院長には「私に任せてください!」と胸を張って言いました。

そこからは入院と外来リハビリをこなしながら、家では通所リハビリ開設のために必要な書類や法律のことを勉強し、入職してから3ヶ月ほどで無事に起ち上げが完了しました。

また、この職場で働いてみての収穫はもうひとつあって、それが理学療法士としての楽しみを実感できるようになったことです。

そこでようやくわかったのですが、私が嫌いになったのは理学療法士という仕事ではなく、ただ前の職場の環境が合わなかったということでした。

新しい職場は私にとても合っており、理学療法士という仕事がこれだけやりがいがあり、楽しいものかと思えるまでに回復することができました。

それに加えて、これまでの職場でかなりタフネスに鍛えられていたので、こんな楽勝な仕事でこんなにお金をもらっていいものかと思えたほどです。

他の職員が一時間ぐらいの残業で文句を言っているのを傍目に、私は涼しい顔をしながら何でもこなすことができました。

なので、今では最初の職場があったからこそ今の自分があると思っており、とても感謝しているほどです。

新社会人が鍛えるべきは技術ではなく、まずはタフネスです!

とまでは言いませんが、もしもあなたが理学療法士を嫌で辞めたいと考えているなら、とりあえず別の職場を経験してみることをお勧めします。

それでもやっぱり嫌だというならしょうがないですが、環境を変えたら楽になる場合も多いと私自身はこれまでの経験から実感しています。

でたらめな老人保健施設で疲弊する

先ほど紹介した職場は環境的にとてもいい場所だったのですが、院長がやや高齢で跡継ぎがいないこともあり、将来に不安を覚えるようになりました。

実際に近くの内科クリニックは院長が亡くなるのと同時に閉院となったりしていたので、明日は我が身ではないかと考え始めました。

そこで次が最後の転職だと心に決めて、条件として、①給料が高いこと、②潰れないことを条件に探してみることにしました。

そこで始めて理学療法士向けの転職サイトがあることを知り、その中のいくつかに登録してから条件に見合う場所がないかをキャリアコンサルタントに相談してみました。

非常に丁寧に対応してくれるところがある一方で、とても苛立たしいことを言われたのもよく覚えてます。

私はここまでに3つの職場を辞めていましたが、その経歴を見たキャリアコンサルタントのひとりが次のように言いました。

これ以上経歴を汚すと転職が難しくなるので、次は最後の就職だと思って条件に合ういい職場を見つけましょうね。

おそらくこれが一般的な世間の評価なのでしょうが、それでも私にはやはり納得がいかない部分もありました。

これまで、点と点を繋げながら最善を尽くして仕事をしてきましたし、職場ではそれなりの評価をいただいてきました。

それをただの「汚れ」と表現されたのは、自分のこれまでを全否定されたような気分になりました。

そのため、その転職サイトは使用せずに他を活用しながら、なるべく条件のいい職場を吟味しながら探しました。

そのようにしてようやく見つけたのが介護老人保健施設であり、前回の職場よりも年収で100万ほど高くなりました。

理学療法士が同じ職場でそれだけアップしようと考えたら、最低でも20年は勤めないと無理ではないでしょうか。

おそらく、誰にでも再現性があって短期的に給料を高められるのは転職しかないのが現状です。それ以外にありません。

ただ、これですべてが万々歳とはならず、その老人保健施設はとんでもないところだったというオチがあります。

その職場には私以外にベテランの理学療法士と作業療法士の二人がいましたが、まったく仕事へのモチベーションがない人たちでした。

すべての利用者が基本的に同じメニューで、プーリーとニューステップという機械をするだけで、個別になにかをすることはありません。

集団リハビリでは机に認知症の方々を並べて音楽を流すだけ。その隣でセラピストとリハビリ助手が座って40分間喋ってるだけでした。

私がベッド上でリハビリをしていたら、依存性を生むからなるべく触らないようにと怒られることもありました。

一週間でもう辞めたいという衝動にかられましたが、引っ越しまでして就職したので、ここですぐに辞めるわけにはいきませんでした。

ひとつだけ幸いだったことは、昼休み以外にも書類業務という名ばかりの時間が90分ほど確保されており、この時間を有意義に使うことができました。

セラピストの二人は寝てるか雑誌を読んでるかだけの時間でしたが、私はこの時間を使って勉強するようにしました。

以前からネットにはリハビリ系の記事が少ないと思っていたので、新人向けにわかりやすく治療法を書いたら需要があるのではないかと考えました。

そこで勉強したことは自宅に帰ってからブログにアップし、その作業を1年半ほど淡々と続けていった結果、今のリハトラネットが完成しました。

当時は本業と副業のおかげで、職業訓練校で働いていたときと比べたら軽く倍以上の年収になっていたと思います。

ブログ収入自体はあまり多くありませんでしたが、私のメンタルはすでに限界に来ていたので、ここで退職を決意することになります。

フリーランスで生きていけるか挑戦

仕事をやめた時点では副業が月に10万円ほどだったので、そこからしばらくは貯金を切り崩しながらの生活となりました。

フリーランスと書いたら聞こえはいいですが、かなり生活も厳しかったので、完全に未来への投資をしている状態でした。

それでも、はじめて紙の本を出版することができましたし、徐々にアクセスも増えていきました。

ちなみに本は2500部の印税保証部数があったので、最初の印税で30万弱ほど振り込まれました。

そんな感じで、まあどうにかなるかなと考えていた矢先に、とんでもない大事件を起こすことになります。

それがサイトぶっ飛ばし事件なのですが、私が間違って設定を変えてしまったことにより、全ての記事のURLが変わって検索結果から消えたのです。

リハトラネットの閲覧者はほとんどが検索流入でしたので、収入はほぼ無くなってしまい、本気でオワッタという感じでした。

とりあえず明日も見えない状況に陥ったので、ここからまた就職先を探すことになったわけです。

整形外科に戻ってきた話

そして現在の就職先である新設の整形外科に落ち着いているわけですが、正直なところ、ここは以前の老健よりも年収はかなり落ちました。

しかしながら、順調にリハトラネットのアクセスも回復していき、副収入もあるので給料の高い低いで選ぶ必要がなくなったのです。

そのため、私が理学療法士として最も活躍できると考えている整形外科の外来リハビリに勤めることにしました。

新設のために同僚の上下関係がなく、院長もとても良くしてくれるので、アットホームでフラットな組織です。

なので仕事は楽しいですし、同僚の理学療法士の中には以前からリハトラネットを見てくれていた人もいました。

一度は業界からリタイアした落ちこぼれの理学療法士が、たったの3年間でここまで名前を知られる理学療法士になったわけです。

そしてもうひとつ嬉しいことがあったのは、よーいドンで始まった新設クリニックですが、半年後に私だけ特別に昇給してもらえました。

私がなにをしたかというと、ファイルメーカーを使用したシステムの構築と短時間型通所リハビリテーションの開設です。

具体的なシステムの構築の話については、以下の記事にまとめているので、良かったら読んでみてください。

 

ファイルメーカーなどのデータベースソフトは職業訓練校時代に使用したことがあったので、ここでも点が繋がったわけです。

このように過去の様々な経験を生かして、院長の想定していた働きを越える仕事をしたことが昇給につながりました。

ここでいえることは、リハビリ業務は出来て当たり前と思われているので、感動を与えるにはプラスアルファの仕事が必要となります。

そして、実用的な知識を最短で得る方法は、色々な職場を経験することだと今では胸を張って言えます。

給料を上げるための方法

これまでの私の経験から言える給料を上げるための方法は、①転職でアップ、②本業でアップ、③副業でアップの3つです。

①の転職は最も簡単かつ確実な方法で、短期間でスキルを飛躍的にアップさせるためにも有効な方法といえます。

理学療法士が転職するうえで、転職サイトを利用しているかどうかでその後の年収は大きく変わります。

理由は簡単で、転職サイトは非公開求人を取り扱っていることと、多くの求人情報から就職先を選択できるからです。

非公開求人とは、簡単に書くとハローワークでは取り扱っていない求人(掲載されていない非公開求人)のことを指しています。

なぜ掲載しないかというと、好待遇の求人には応募が集中してしまい、企業はその対応に多くの時間を費やす必要があるからです。

企業側の欲しい人材というのは募集する時点である程度に決まっているため、該当しない人からの応募はなるべく来てほしくないわけです。

しかし、ハローワークに掲載してしまうとなるべく面接をするようにと通告が来たり、応募者を限定するような表記もできません。

これは応募者にとってもデメリットしかなく、条件がマッチングしないところで時間を無駄にしてしまいます。

このような問題を解決するために転職サイトが存在しており、企業にも応募者にも損がないような構造となっているわけです。

非公開求人の中には年収が450万円以上の求人も多数あり、現在の給与に不満があるなら絶対に登録しておくべきです。

条件のいい求人はすぐに決まって消えていきますので、求人情報はこまめにチェックするように心がけることが成功への近道です。

次に、②の本業でアップですが、たとえ転職しなくても、プラスアルファの仕事をして正当に評価してもらうことにより昇給は可能です。

リハビリ技術がどれだけ高くても評価されることはほとんどないので、業務効率化や新規事業、集客といった部分に役立つスキルがいいでしょう。

自分の職場はそんなことをいくらしても昇給なんてしてもらえない、と思った方は今すぐにそんな職場は辞めたほうが良いでしょう。

正当な評価をしてもらえない会社では努力をする意味を見失って、あなたの可能性の芽を潰してしまうことになりかねません。

仕事を正しく評価してくれる会社に勤めて、スキルを伸ばし続けることこそが、ひとつ上の理学療法士になるためには必要なことです。

最後に、③の副業でアップですが、私の場合はサイト運営や書籍販売などによって副収入を得ています。

稼ぐまではかなりの時間がかかりますが、興味があるなら是非とも挑戦してもらいたい分野です。

ブロガーの多くはそのノウハウを無料で公開していますし、現在は理学療法士の中でも稼いでいる方々が多くいます。

そのあたりを参考してもらうことで、誰でもそれなりに可能性がある副業になりえると思います。

ひとつ上の理学療法士を目指して

私は成功本が大好きで昔は年間に100冊以上は読んでいましたが、そこで気付いたことがひとつあります。

どの本のタイトルにも「あなたもこれで成功者になれる」と書かれているのに、まったく成功者になれなかったのです。

そのときは詐欺じゃないかと怒りを覚えましたが、よく考えてみると本に書かれてることを忠実に実践していたわけではありませんでした。

稼げるようになるためには、知識を得ることではなく、得た知識を実践することのほうが何百倍も重要なのです。

言うのとやるのでは大違いとよく言われますが、それを身を持って体験したのが私のここ10年でした。

もう一度書きますが、私が収入をアップさせるために実践してきた方法は、以下の3つだけです。

①転職を繰り返す

  • 転職でスキルを上げる
  • 給与の高い求人を見つけるために転職サイトを活用

②リハビリ以外で会社に評価される仕事をする

  • ホームページの作成
  • 通所リハビリテーションの開設
  • ファイルメーカーによるシステム構築 etc.

③副業を毎日コツコツと頑張る

  • サイト運営
  • 本を出版する
  • セミナーの開催 etc.

 

現在はすでに理学療法士や作業療法士が飽和してきているので、いい条件の求人は減ってきているのが実情です。

そのため、行動するなら1秒でも早い方が良いでしょう。

転職サイトはいくつも存在していますが、個人的に最もお薦めなのは大手サイトの「マイナビ医療介護のお仕事」です。

医療介護のすべての求人を取り扱っているため、提携企業も多く、大手ということで安心感もあります。

ただし、前述したように給料の高い求人はすぐになくなるので、常にチェックしておくことが大切です。

自分で確認しなくても、担当のキャリアコンサルタントに条件を伝えておくことで、希望に合う求人が出た際に連絡をしてもらうこともできます。

今すぐに転職する気がなくても、「良い条件のとこがあるなら来年度ぐらいにでも」といった感じで相談することもできます。

本業や副業での収入アップを狙うには、ある程度のスキルが必要ですし、とても時間がかかる作業です。

なので、私のように転職を繰り返しながらスキルアップを図り、ブログのネタを集めていくというのも効率的な手段となります。

努力が必ずしも報われるとは思いませんが、できることをすべて実践してから自分はダメだと言ってください。

私はナポレオン・ヒルの成功哲学を読んで実践し、10年間かかってようやく少額ですが自力で稼げるようになりました。

もっと才能があったら1〜2年でも達成できるほどの小さなプチ成功ですが、平凡な私にはこれでも褒めてあげたいほどの成果です。

そんな私の10年間のノウハウをすべて詰め込んで書いたので、是非とも今すぐに実践してほしいです。

今から始めたら3年後にはきっと劇的な変化が感じられるはずです。

成功の種はいつも近くに転がっている

私のこれまでの経験や考え方、実践している副業を中心に書いてきましたが、やはり簡単に稼げるようになる方法はないというのが本音です。

私はこれまでに5度の転職を経験していますが、そこで得られた知識や経験が今の私を形成しているのだと思います。

人生は出会いとはよく言ったもので、どこから稼ぐためのアイデアを得られるかはわかりません。

私がサイト運営の知識を身につけられたのも、医療職から離れた仕事をしていたことが大きいです。

どこに成功の種が転がっているかは誰にもわかりません。自分に合った方法を見つけて、あなたも楽しい未来を描いてみてください。

なお、文中で紹介した転職サイト(マイナビ)は下記の画像から1分で簡単に登録できます。是非ともご活用ください。


お勧めの記事はコチラ

スキルアップするための情報はコチラ

スポンサードリンク

勉強になる情報をお届けします!

The Author

中尾 浩之

中尾 浩之

1986年生まれの長崎県出身及び在住。理学療法士でブロガー。現在はフリーランスとして活動しています。詳細はコチラ
rehatora.net © 2016 Frontier Theme