神経系モビライゼーションの概要
**神経系モビライゼーション(Neurodynamics)**は、神経の滑走性(excursion)と伸張耐性(strain tolerance)を安全に高めるための手技・運動の総称です。神経は、軸索輸送によって物質を運ぶ「生理的機能」と、身体の動きに適応して周囲の組織間を滑走・伸張する「機械的機能」を持っており、これらは相互に依存しています 。これらの機能が障害されると、疼痛や身体機能障害が引き起こされるため 、末梢神経や神経根を直接・間接的に扱い、機能の正常化を図ります 。
2つの基本操作:スライダーとテンショナー
神経系へ直接アプローチする手技(neural mobilization)として、以下の2つが代表的です 。
- スライダー(slider)
- 目的/使いどころ: 神経を一方で伸ばし、他方で緩めることで、神経の全長を大きく変えずに隣接組織(腱、筋肉、骨、椎間板など)との間の滑走性を促します。滑走反復により炎症性滲出液を排出し、微小循環や神経虚血を改善します。炎症期や痛みが強い初期に適応されます。
- 具体例(坐骨神経): 股関節屈曲+足関節底屈 ⇄ 股関節伸展+足関節背屈(膝は軽度屈曲~伸展で調整)。
- 注意: 痛み再現手前の軽い張りまでとし、反復・小可動域で行います。
- テンショナー(tensioner)
- 目的/使いどころ: 神経を両端で同時に伸張させ、伸張耐性や粘弾性を改善します。亜急性~慢性で反応が安定した後に用います。
- 具体例(坐骨神経): 股関節屈曲+膝伸展+足関節背屈(必要なら頸部屈曲を加える)。
- 注意: 急性期・強い根症状では原則避け、極軽度から開始します。遅発痛に注意が必要です。
また、神経が隣接組織に圧迫されている場合は、神経周囲の組織を介して間接的にアプローチする脊椎椎体の lateral glide(痛みの原因となる脊椎を反対方向へ他動的に並進させる)や牽引などの手技も有効とされています 。原則は遠位レバー(足関節)や近位レバー(頸部)から始め、反応を見ながら患部へ段階的に近づけます。
まずSLRで考える(椎間板ヘルニアなどの評価)
SLR(Straight Leg Raise)テスト陽性は、下肢挙上で坐骨神経~神経根が引っ張られ(緊張/滑走)、坐骨神経痛様の痛み・しびれが誘発される状態です。SLRテストは感度が高いため神経症状の除外診断に有用であり、対側の下肢を挙上して患側に痛みが走る Crossed SLRテストは特異度が高く確定診断に有用とされています 。ただし、高齢者では神経根の圧迫が存在してもSLRの陽性率は低くなる傾向があります 。
角度の目安
- 0–35°: 神経組織のたわみ取り&滑走開始。この域で症状が強く出る場合は滑走性障害が疑われやすいです。
- 35–70°: 神経・根の張力上昇域。この域で症状が顕著な場合、神経の伸張(テンション)に敏感です。
- >70°: 多くはハムストリングス・股関節・仙腸関節など筋骨格要因の比重が増えます。
修飾テスト(ブラガード徴候など)
SLRで症状が出る角度からわずかに戻して症状を軽減させ、そこで足関節背屈(ブラガードテスト)や頸部屈曲を追加して再誘発するかを確認します。股関節内転を組み合わせることでさらに効果的に痛みを誘発できることもあります。角度には個体差が大きいため、**角度の絶対値より「症状の再現性と修飾(DF/頸屈など)で変化するか」**を重視します。

期待される作用機序
- 微小循環の改善: 滑走反復で炎症性滲出液の排出を促し、静脈還流を高め、神経虚血を改善します。
- 機械的過敏(mechanosensitivity)の低下: 繰り返し動かすことで痛みの閾値を正常化します。
- 軸索輸送・滑走の正常化: 神経束内の粘弾性や滑走性が整います。
- 中枢の恐怖回避低減: 安全な範囲で動かす経験が防御的筋緊張を緩めます。
セルフでできる安全な処方(ホームエクササイズ例)
症状の改善には患者自身で行うスライダーテクニックなどのホームエクササイズが有効です。
A. スランプ・スライダー(坐位)
- 椅子に浅く座り、背すじは中間位に保ちます。
- 痛みを避ける方向へ頭部を屈曲させながら、足関節を背屈しつつ膝関節を伸展させます。
- 続いて、頭部を伸展させながら、足関節を底屈しつつ膝関節を屈曲させます。
- この2つの姿勢を交互にリズミカルに反復することで神経を滑走させます。痛み再現手前の張りで止め、1–2秒で切り返します。
- 10–15回×1–2セット、1–2回/日。左右差・反応に応じて調整します。
B. 仰臥位スライダー(ベッド)
- 仰向けになり、患側膝を軽度曲げて股関節をゆっくり屈曲させます。
- このとき足関節は底屈させ、戻すときに背屈へ切り替えます。
- 症状がぶり返さない可動域で反復します。
- 8–12回×1–2セット、1–2回/日。
※ルール: 痛みは0~2/10まで。動作中のみ痛みが出てもOKですが、終了後に痛みを残さないこと。24時間以上の悪化が出たら量/範囲を減らします。
THA(人工股関節)後の神経障害との関係
THA後の神経障害は~1%前後で報告されています。脚長差を補正するために患側を延長した結果、坐骨神経系が過緊張・急伸張されることが一因となります。介入は術創の治癒と医師許可を前提に、遠位スライダー(足関節・膝)から極軽度で開始します。テンショナーは後期、症状が安定し歩容・体幹制御が整ってから、わずかに導入します。
安全のためのチェックリスト(レッドフラッグ)
以下のレッドフラッグに該当する場合は実施せず、医師に相談してください。
- 進行性の筋力低下・感覚脱失・反射消失、膀胱直腸障害(馬尾症候群など、早期の手術療法が適応となる場合があります)
- 重篤な骨病変・感染・腫瘍、近接骨折・急性外傷
- 急性の激烈な根症状、安静でも増悪する痛み
- コントロール不良の糖尿病性末梢神経障害など感覚鈍麻が強い例は用量を厳重管理
実施上の注意
- 強度は弱→中、可動域は小→中から開始します。
- 頸部屈曲は張力が大きく上がるため最後に追加します。
- セッション後の遅発痛・しびれ増悪を翌日もフォローします。
すぐに使える“臨床プロトコル”(下肢根症状の例)
- 評価: SLR角度、ブラガード、頸部屈曲の修飾で症状が変わるか、ニューロダイナミックテストで最小可動域を把握します。
- 開始: 遠位スライダー(足関節)を10–15回×1–2セット。痛みは0–2/10とし、終了時に残さないようにします。
- 段階化: 膝伸展/股屈曲を少しずつ増量し、反応が良ければ近位レバー(頸屈)を最後に加えます。
- セルフ指導: 1–2回/日を実施し、2週間でSLR角・症状VAS・日常動作を再評価します。
- 移行: 炎症鎮静&恐怖回避改善後に軽いテンショナーへと移行し、体幹/股関節安定化を図ります。
Q&A
Q. しびれが出たら中止?
A. 鋭い痛み・電撃痛・広がるしびれは中止します。軽い突っ張りは許容可能ですが、終了時に残らない範囲にとどめてください。
Q. 何回・どれくらいで効く?
A. 目安は10–15回×1–2セットを1–2回/日。多くは1~2週間でSLRの可動域や症状が変化し始めます。
Q. スライダーだけで十分?
A. 急性~亜急性はスライダー主体です。慢性期で過敏性が下がってから、ごく軽いテンショナーを試す価値があります。
Q. 自宅でやると悪化しがち…
A. 可動域を半分に、速度はゆっくり、回数も半分にします。頸屈は外し、悪化が24時間を超えるなら一旦中止して再評価します。 Q5. 上肢のしびれにも使える? A. はい。正中/尺骨/橈骨神経のULNT(上肢ニューロダイナミックテスト)で同様の考え方(遠位スライダー優先)を適用します。
最終更新:2026-07-15

