整形外科の外来リハビリをしていると、治療をするうえで整体の知識は必須と言える状況にあります。
理学療法士は整体師ではありませんが、目の前の患者を治すために勉強していくうえで、あらゆる分野の治療法を学ぶことは有効です。
今回は日本における整体の歴史について調べてみたので、簡単にですが代表的な人物と著書を中心に紹介していきます。
①桑原俊郎
桑原俊郎(くわばらとしろう:1873-1906年)は、霊術の開祖であり、宗教家でもあります。
なぜ最初に整体とは関係ない霊術を取り上げたかというと、日本で最初に治療家としてのムーブメントを起こしたのが彼だからです。
現在も怪しい治療法(手かざし療法など)は数多く存在していますが、それらの源流に霊術が存在します。
桑原氏の霊術は催眠術や心理学などから影響を受けたもので、マインドコントロールにちかい方法ともいえます。
霊術は戦後GHQに禁止されたことで、おおよそ終焉をむかえ、現在では霊術・療術はほぼ死語となっています。
1904年に発売された精神霊動は大ベストセラーとなっており、2003年には復刻版も出ています。
②山田信一
山田信一(やまだしんいち)は、日本にオステオパシーを広めた人物です。
オステオパシーは、ギリシア語のOsteon(骨)とPathos(病理、治療)の2つを語源としています。
骨や筋肉のみを調整する手技とは異なり、動脈・静脈やリンパなどの循環器系、脳脊髄液の循環を含む脳神経系など、広範囲の医学知識の元に手を使って治療を加える方法となります。
1921年の山田氏の著書「山田式整体術講習録」で、オステオパシーやプラナ療法が日本に紹介され、従来の日本的、中国的な手技療法に影響を与え、その分野を大いに発展させました。
プラナ療法とは、呼吸法・振動および揺動法でプラナを体内に蓄え,患部に手を触れたり若干の距離をおくなどの方法でプラナを伝達し,他人および自分を治療するものと解説されています。
そもそもプラナが何かという話ですが、プラナは宇宙万有に活力を与えてくれる源を成すものとしており、中国の「気」と類似します。
オステオパシーもそうですが、目に見えない部分(感覚)を大切しており、西予医学を学んだ現代の理学療法士には理解しにくいところもあります。
山田式整体術講習録がきっかけでオステオパシーは山田式整体術と呼ばれることになり、日本で広まることになりました。
山田式整体術講習録は1985年に「山田式整体術講義録」として復刻版が出ましたが、こちらは古書としてプレミア価格になっています。
③野口晴哉
野口晴哉(のぐちはるちか:1911-1976年)は、野口整体の創始者で「整体」という言葉が日本に普及する契機となった人物です。
野口整体は、愉気といわれる触手療法、操法と呼ばれる手技、行気法、活元運動、整体体操、体癖論、潜在意識教育などの独特のアプローチからなります。
1943年に手技療術の法制化を目的とした組織「整体操法制定委員会」の設立に携わり、多種多様な手技療術の中から共通点を抽出し、その標準型として整体操法をまとめあげています。
委員会には各分野の専門家(カイロプラクティック、オステオパシー、スポンデラテラピー、脊髄反射療法、健体術、手足根本療法など)が参加しました。
そのため、野口整体は独特のアプローチでありながら、各分野のエッセンスを取り入れた治療法であるともいえます。
野口氏の著書は数多く存在していますが、1968年に「整体入門」という本が刊行され、2002年には文庫版にもなっています。
日本における整体の始祖的存在となりますので、治療家なら是非とも読んでおきたい一冊です。
おわりに
ここで紹介した三名は、ウィキペディアで「整体」と調べたときに出てきた代表的な人物になります。
新しい本や文献を読むことも大切ですが、治療の歴史を知ることも同じぐらい大切ではないかと考えて今回調べることにしました。
整体入門や山田式整体術講義録は購入しましたので、面白そうならレビューしてみようと考えていますので暇ならまた読みにきてみてください!